『学力喪失-認知科学による回復への道筋』今井むつみ著
第6章 思考につまずく まとめより一部引用

ここまで紹介してきた四つのタイプの推論問題で共通していたことは、学力が低位層にいる子どもでも、基本的な演繹や類推の推論はできるということである。低位層の子どもがつまずくのは推論そのものができないということではなく、情報処理の負荷が厳しくなったときに、そこで思考が止まってしまうということなのだ。言い換えれば、子どもがつまずく原因として、「思考力そのもの」より「思考の制御の問題」が大きいことを知っておくべきだということである。

子どもと一緒に遊んだり考えたり、中学生と勉強したりしているとよく見る光景があります
おそらく、それが「思考の制御」ができないケースなんだと思いますが、
たとえば小学生と一緒に遊んだり考えることが必要な作業などをしているとき、
うまくいかないとすぐ諦める子、
文句を言って、ちょっと暴力的になる子、
落ち込んで泣き出す子、
めんどくさい、とそっぽを向く子、
ボーッとしてただ時間が過ぎるのを待っているように見える子

中学生と勉強しているときも、
解説を頼まれて、説明を図解したり話したりしながら始めるも、
途中で目が泳ぎだし、どこか遠くへ行ってしまう子(笑)
説明を終えて、「ああ、なるほど」なんて返事をしつつも、
自分のデスクに戻ると、文房具や自分の爪をいじったりして心ここにあらずの子

「あ、いま、思考が止まっている」と私には見えるけど、
そうなってしまった子の肩を揺さぶって、「はい、思考してください」なんて言ったって無駄
できる、できないじゃない
考え続けるか、続けないか
その部分に差があるようだ、とこの本には書いてありました

「情報処理の負荷が厳しくなったときに、そこで思考が止まってしまう」
ということなのでは、と

この言葉は、しっくりきました
たくさんの子どもたちと30年以上過ごしてきて、ああ、あの時のことだ、あの子のことだ…と蘇る光景があります

じゃあ
どうしたらいいのか
「情報処理の負荷が厳しくなったときに、思考が止まらない」ように成長するには、
どうしたらいいのか

今井先生の研究の著書をいろいろ読んでいますが、
ヒントは書いてあっても、なかなか各家庭で実践する具体例としてはイメージしづらいかもしれません

どの本を読んでも「結局、どんぐりじゃん」って思うのはいつものことなのですが、それは置いておいて…

たくさん付箋を貼りながら、ひとつひとつブログで感想を書いていこう…と思っていたけど、ずっと机の上にあるこの本の表紙を見ていて、ずっと前からわかってはいたけど、最近またあらためて気づいてしまったことが、脳裏をぐるぐるしています

結局、
思考力を存分に、自由に、無限に伸ばして育てるはずの時期に、
子どもたちは退屈しているんじゃないの?
自分で考えることを放棄して、自分で考える経験もせずに、それだけで十分楽しめるってことを、知らずに成長しているんじゃないの?っていうことです

動画や、ゲームに釘付けで、すべきことをしないんです、と悩んでる親御さん
まあ、
まずは小学生以下の子ども限定で話しますけど、
動画やゲームが好きで、没頭している子どもたちについて考えると、
おそらく、
動画やゲームが楽しいんだと
…そんなの当たり前でしょ、って思いますよね
大事なのは、
動画やゲームが何よりも楽しい、っていうこと
何よりも

です

家族で話すよりも、遊ぶよりも、友達と話すよりも、遊ぶよりも、
ひとりで遊びを考えるよりも、本を読むよりも、絵を描くよりも、空想にふけるよりも、
動画やゲームの方がずっとずっと楽しいっていうこと

です

つまり、
動画やゲーム以外のことが、
退屈で、つまらなくて、没頭できないんだと

そりゃ、
没頭しますよ
そりゃ、
やめさせることなんて無理ですよ
だって、
つまらないんだから
他のことが

じゃあ、そこに、「勉強」が加わったとします
家族で話すよりも、遊ぶよりも、友達と話すよりも、遊ぶよりも、
ひとりで遊びを考えるよりも、本を読むよりも、絵を描くよりも、空想にふけるよりも、
動画やゲームよりも、
勉強が好き
勉強が楽しくて没頭できる!

そうなる可能性ってあるでしょうか

テレビや動画で見た、面白いことを私に一生懸命話す子どもを見ていると、
正直、私はつまらないんです
子どもにとってそれらは大いなる刺激ですから、
その強烈な体験を誰かに話したいんだと思います
でも、その子自身が考えたことでもなければ、体験したことでもない
なんなら受け売りの言葉を使ってもっともらしく話すのですが…

それよりも、
学校であったこと、家であったこと、庭や校庭で見つけたことを、一生懸命話す子どもの話の方がずっとずっと面白いんです
なんてことない、オチもない(笑)、ただの写実的な話でも、ワクワクします
言葉は稚拙でも、その子が自分で見たこと、感じたこと、考えたことを、知ってる限りの言葉で一生懸命伝えようとしている
その向こうにその子が味わった景色が見えるようで、ワクワクします

テレビや動画の話は、ワクワクしないんです…

じゃあ、動画やゲームをやめさせて、そうじゃないところで楽しみを見つけるようにする!っていうのが率直な解決法に思えるかもしれませんが、それってすごく、大仕事です

子どもは、生後間もない頃から毎日、楽しいことを探して生きています
特に何か、楽しいオモチャや仕掛けを用意してあげなくても、
そこらへんにあるもの全部、ひとまず試して、面白いかどうか、いちいち調べて回っています
そんな子どもの姿を見たことがあるのではないでしょうか

座布団を片っ端からひっくり返していく
積み木をいちいち口に運んでいく
せっかく並べ直した絵本も、ざざーっとまた広げて触っている

まるで探検家のように身の回りの全てをチェックしながら前進する赤ちゃんの姿に、感心することもありますが、たぶん、彼らの原動力はただの好奇心です
なにか楽しいことはないか、ただそれだけを探しているのだと思います
何かを学び取ろうとなどしていないんです

それがいつからか、
楽しいことを探すことをやめ…
中略しますが、
結果的に、
動画やゲームが何よりも楽しい、と思う子どもになっている

それってなぜなんでしょうか

いつも、今井先生の本を読むと、
家庭でできることはなんだ?とそれが書いてある箇所を探すのです
今井先生は学校でできることを提示してくださっています
でも、学校に入る前に、
家庭ですべきことがあります

ごくごく、普通の、何気ないことだと私は思ってきたけど、
最近、いろんな人と話したり、赤ちゃんといる人を見ていると、
もしかしたら、
知らないだけの人が増えているのかもしれない、と感じます
それを今やってしまったら、
考えることを避ける子になってしまう
他のどんなことよりも動画やゲームが楽しい子になってしまう
それ以外のことが退屈でつまらない、と感じる子になってしまう
そして
情報処理の負荷が厳しくなったときに、そこで思考が止まってしまう子に
なってしまう……

何かをさせれば賢く育つのではありません
何もないところから自分で工夫する、楽しいことを見つけ出す
本来、そういうことの天才である子どもの可能性を、
奪って失わせてしまうのは、
子どもの近くにいるたくさんの大人たちです

お金もかからず、道具も教材もいらない、
ごく普通の生活の中で、
子どもは賢く豊かに育ちます

その方法がいつのまにか、深く、見えないところに埋もれてしまい、
大人も、もう、面倒くさくて、手軽な方法でなんとかしのいでいる
それが一番いい、なんて思っていないのに、
選んでしまう

子どもが、何をいちばん楽しんでいるのか、
よく観察してみてください
それが一番楽しくて、
それに夢中で、
他のことは眼中にない、のだとしたら、
それ以外のことが退屈で、つまらないから
その可能性を考えてみてください
つまらないことの方へ誘導するのは難しいです
無理だと思います

どうしてつまらなくなっちゃったのか
考えてみてください
原因を自分たちでこしらえてしまってはいないか
考えてみてください

さあ、そして中学生からのことですけれど…
そりゃあ、当然ながらそこまで12年間の上に中学生になる子どもたちは立つわけです
最近では、
自由でいい、子どもの好きなようでいい、子どもが選択すればいい、という素敵な考え方が、逆に子どもを弱くしてしまっているなあ、と感じることも多く、
中学生になると急にのしかかる生活や勉強、人間関係などの負荷に耐えられず、逃げだそうとする子が増えているように見えます
それも、
子どものせいではないけれど、その話はまた、別の機会に…