どんぐり問題に取り組むご家庭での一番の課題ともいえるのが、「お宝問題」にまつわることなのではないでしょうか
・正解にこだわって、なかなか「お宝」と割り切れない
・「お宝問題」はいつ解き直させたらいいのかわからない
この疑問が出る時点で、
もしかしたら、どんぐり問題に対する心構えというか、「おうちどんぐり指導者」としての基礎知識の部分で、勘違いなさっているかもしれません
もちろん、どんぐり学舎のような教室に通わせている保護者の方の場合も、同じです
たぶん、その勘違いは、私たちが当たり前に受けてきた学校教育の中で自然と培われてきた「常識」であり、「習慣」でもあるので、払拭するのはなかなか難しいのかもしれません
学校での算数教育は、いまでも昔と変わらず、「は・か・せ」をモットーに進められることがほとんどです
「は・か・せ」とは、「速く・簡単に・正確に」という意味です
学校では「は・か・せ!」を合い言葉に、速く、簡単に正確に解けることが目標とされますから、遅くてまどろっこしい、しかも教科書と違う考え方は認められないし、ましてや、正しい答えが出ない場合など、何度やり直しをさせられているかわかりません
どんぐりっこアルアルですが、「正解」を出しているにも関わらず「正確」ではないから、と認めてもらえない、というエピソードが時々耳に入ります
「解き方が違う」と先生に注意されたり、×をつけられたりするのです
私の知る(その経験をした)どんぐりっこたちは、教科書に載っている解き方をもちろん理解した上で、「別の解き方もあるよ」と思って解いたり、「自分ならこう解くよ」と「いつもの(どんぐり的な)」解き方をしただけのことなのですが、学校の先生に拒絶される、というのはやはり気分のいいものではありません
それにしても、「多様な学び」とかなんとか、大々的に文科省でも唱えているわりに、現場の先生達はそこまでの余裕がなく、とにかく、全員に同じ事を徹底してさせることを何よりも優先にさせてしまうのは、ものすごくデキル子にとっても、ものすごくゆっくりな子にとっても、ちょっと辛いんじゃないかな、と思うのです
先生達を助けたいな、って話し合いの機会を狙っていたし、今でも諦めてはいないけれど、これまた閉鎖的で、なかなか味方だと思ってもらえないのも悲しいものです
全然、敵対なんかしてないのにな
さあ、そんなわけで、「ぐん!と伸びる子」がなかなか伸びづらいのが現行の制度です
もちろん、「もうちょっとゆっくり、何回も教えてほしい」っていう子もね…
それでも、どんぐりっこは逞しく、どんなに先生に却下されても、能力を伸ばし続けることができます
それは、ひとえに、お家の方のサポートありき!
さあ、だから私たちは、自分の中にある「は・か・せ」に御退室いただかなくてはならないのです
そういうことは学校にお任せしましょう
それがどうしても必要ならば、学校で散々練習させられていることを知りましょう
速くできる必要はありません
これからすることは複雑な作業です
たとえば、ひと針ひと針、ちくちく縫っていく刺繍です
たとえば、小さなパーツをひとつひとつ並べて組み立てるプラモデルです
「何よりもまず、速さを重視!!」と急かされながらそれらをやろうとしたら…
どうなるでしょうか
がーーーっとミシンで直線縫いをするのではありません
ばあーっと平らなベニアに均一に塗料を塗るのではありません
複雑な作業です
「何よりもまず速さ」ではないはずです
ゆっくりと、技を磨き、少しずつ、慣れてきて、自然とスピードがついてくるものです
達人は確かに「速く・簡単に・正確に」やってのけるでしょう
でもそれはあくまでも達人技
これから技術を習得しようとしている弟子が、「なによりも速さを優先」したら、師匠、怒るだろうなあ
簡単に解く必要もありません
達人は簡単にやっているように見えて、多くの技術と経験を生かして駆使しているはずです
最初から「簡単にできる方法を教えてください」と弟子が聞いてきたら…師匠、怒るだろうなあ
そして、ついに、「正確に」
…とはいえ、問題を解くのだから、正解を出さないと意味がないではないですか!と思うのは当然です
どんぐり問題だって、正式名称は「どんぐり倶楽部良質の算数文章問題」ですからね
算数の文章問題で、「答えはなんでもいいです」なんてあり得ませんよね
でも、前述のふたつ「速く、じゃないこと」「簡単に、じゃないこと」を心から理解できたなら、その後に「正確に!」という部分がたいした問題じゃないことは、もしかしたらもうおわかりになっているかもしれませんね
対象は、子どもです
手に職をつけて、これから師匠のような達人の域を目指し、厳しい世界で生き抜く力をつける弟子じゃなくて、まだどの世界を生きていくか、決めてもいない、そして、もっともっと無限の可能性を秘めた、子どもたちなんです
私が思っているどんぐり問題、他の教材では絶対に味わわせることができない唯一の特徴
どんな子も、一生懸命考えて、描いて、一生懸命数えて、考えて…
どんぐり問題の神髄はそこまでなんだよ
っていうことです
正解を出さなくちゃ
お宝にしないようにしなくちゃ
そんなことにとらわれて、「一生懸命考えて、描いて、一生懸命数えて、考えて」の時に、心がざわざわしていたり、楽しくなさそうだったり、全然、考えるための絵を描いていなかったり、答え合わせの段階で不正解で不機嫌になったりしたら、きっと、そこが、いま、その子の中にある壁なんだよ、って
そして、その壁は、案外、その子自身が作ったというより、周囲の大人がみんなして築き上げちゃった壁かもしれないんだよ、って言いたいのです
みんなの中にいる、「は・か・せ」がね
だから、御退室いただきましょう、って
ちょっとの間だけ、ね
“小学校の間に習慣をつけておかないと”
これは、最近何人もの人から聞いた「学校の先生の言葉」です
「家庭学習の習慣」「素速く言われたことをする習慣」「テスト勉強」などなど、中学生になる前に、小学生の間に徹底的にそれらを身につけよ、ということなのですが…
親御さんの中には、先生にそう言われて、または、言われなくてもご自身の中でやはり、「今こんなにのんびりと構えていて、中学生になってからが心配だわ…」と思う方もいらっしゃるかもしれません
小学生と中学生は、子どもマニアの私に言わせると、「別の生物」です
どちらも可愛くて、最高に魅力的な生物です
複雑で、わけわかんない時もあるけど、なんだか、長年一緒にいると、そんなことも愛おしいんですよね
それで、小学生の頃に身につけた習慣が、何の疑いもなく中学生になっても続けられるかっていうと、少し難しいこともあります
実際、みなさんはいかがですか?子どもの頃の親や先生の言いつけ通り、ちゃんとやってますとも!と言う方もいるのかな
特に「やらなければならないこと」となると、小学生の間は、自分よりかなり「大きい」大人達に言われたら、逆らえませんから、言うことを聞いて、その通りにするしかないんです
でも、心から納得していなかった場合、中学生になってその負の部分がいろいろな面で反応を起こします
それで、中学生たるもの!これくらい自分でできないものかね!?という部分にまで、影響を及ぼし、すっかり未熟で、自分のことを自分で考えることもできない幼稚な中学生ができあがってしまいます
簡単に言うと、小学生の間は、あとさき考えず、奔放で自由で、周囲の目も気にしない、そんな特性を生かして、思い切り伸び伸びとさせればいい(メリハリはつけますよ!)
そして、中学生になったら、いよいよ自分の技を磨く時
周囲の目も気になりだして、親への反発も生まれる
自分は自分!!って未熟ながらも、殻を破って逃げ出したいとき!
自分の生き抜く道を探し始める時(見つからなくてもまだいいよ!)
そのためにひとつひとつ、アイテムを手に入れて、技を磨く時なのです
そう、それこそ、そこで「は・か・せ」の復活!
そうじゃない思考ができているから、「は・か・せ」が時々現れたら、逆に燃えるんだよね
そんなことをわかって、子どもたちの周囲の大人達が、時には失敗することも一緒に楽しんで、じゃあどうしよう、って一緒に考えて、とにかく笑ってくれていたらなあ…
そんな思いを込めて、最近は、塾生の「お宝問題」に特別サービスの「さとちゃんらくがき」をしています
私の意識としては、仮止めして解いた問題を糊付けしてスタンプを押す意味は、「この問題は正解したのでもう再挑戦する必要がない」という指導者や保護者の認識のためのものなのですが、どうしても、子どもたちはそれを「合格」で、お宝スタンプは「不合格」だと思いこんでいる節があったので、それならば、と始めたことなのです
「お宝問題」は、「いつか再挑戦する」という意味の印をつけて仮止めを外し、問題ケースの奥底か、専用封筒に入れておくのですが、再挑戦するのは学年にもよりますが、記憶に新しいうちではなく、もう忘れた頃でいいと私は思っています
生徒達には夏休みなどの長期休暇中、またはまだずっと先、6年生になってから一気にかたすのもあり、おじいさんおばあさんになってからでもいいよ、なんて言っています
それに、
描いたけど解けなかった作品(答案)についても、再挑戦する時に「以前はどう間違えたかな」なんて確認をしなくていいんです
こっそり確認すべきは指導者と親御さんくらいなもので、子どもたちはそこでリセットしちゃえばいいんです
そんなわけで、「お宝」=「さとちゃんのらくがき」という…しかも、「いや~!!やめて~!!」って言いながら子どもが大喜びするキモカワイイらくがきを意識して…
よかったら、そんなキモカワ作品集、御覧になってみてください
来週も、子どもたちとたくさん、笑い合えますように