(これは以前に送っていただいたある生徒さんの塗り漢字作品
本文の生徒さんとは別のお子さんです)

今日もある通信生の保護者さんあてに書いた文章を転載します

あ!私宛のだ!とお気づきになるかと思いますが、
私の書いた文だけを紹介するのと、
全ての文は、その方へのメッセージではなく、きっかけで書き綴るだけです
もしかして自分の例に近いかも、と思う方が、それぞれ受けとめてくだされば
と思います

 

漢字ですが、
なんで0点じゃダメなんでしょうね
なんで先生は「明日までに練習してきて」って言うんでしょうね
やらないと、テストが0点だと、先生が困るのでしょうか

夏休みの漢字練習の宿題は、教室の子も、私の子も、やっていません
でも、漢字が0点だったかというと、それには個人差があります
だから「漢字練習をしないから0点だ」と思わない方がいいです
実際、泣きながら宿題を全部やらされている小学生も0点を取っています

お子さんにも段階があるんだと思います
小学生が短期記憶で漢字を覚えても、忘れます
特に覚えようと努力していない子は、永遠に覚えてるんですけど…
それでもその時、練習を強いる方がいいのかどうか、ということです

糸山先生の「読めたらOK」は確かにその通りだと私も思っています
実際、こうしてタイピングをする機会の方が大人も多いと思います
スマホで文章を打っていても、予測変換で漢字を間違えずに入力することができれば問題ないのだと
高校入試でも、漢字を書く問題は4~5問です
小学校から中学校まで2000字ほどの漢字に出会いますが、そんなものです
だから書き取りを必至にやる必要はないし、
書き取りの練習をしたら書けるようになるのかというとそんなことはありません
1日2問読み進めて、今まで読んだ漢字を全て覚えているでしょうか

私は、漢字が読み書きできるのも、教養の基本だと思っています
無理に練習させてやっと覚えるのではなく、自然と暮らしの中で獲得するものだと
だって周囲には漢字仮名交じりの言葉が溢れかえっています
それが視界に入り、不思議に思ったり、なんて読むんだろう、って思ったり、真似して書いてみたり、そういう好奇心から自然と文字を覚えたり、書けるようになったりするものだと

我が家の場合は小学校1年生になるまで文字も数字も教えないし、真似して書いて間違っていても一切直さない(お絵かきの絵を直さないのと同じで遊びの一環だと思って)でいて、小学生になっても宿題を一切させなかったのは、「練習しないと書けるようにならない」と思い込ませないためでもありました
それよりも、
毎日道を通れば看板や標識があり、絵本や図鑑には文字がたくさん書いてあるし、大人が読んでいる新聞や本にも文字がたくさん書いてある
そんなものに囲まれて暮らしていれば、自然と文字は目に入ります
それが話題になったり、無理矢理練習させられていないからお絵かきの中に漢字を散りばめるようになったり(うちの子の場合は、絵に描いた人物や動物に漢字でキラキラネームをつけるのがブームでした)そうやって自然に獲得しました

小学校を卒業すれば、それが今度は外国語になります
町を歩けば、またもや、横文字やハングルが目に入ります
そうやって外の世界に目を向け、自然に獲得する暮らしをするだけだと思います

でも、
どこを見るのか、っていうのは、特性があるようだ、と私もわかっています
どんなに自然遊びに連れ出しても、広い目で大らかに遊ぶ子ばかりではありません
好奇心の視野が狭い、というか、局所的な子もいます
そういう子は周囲の人間にも最初は興味を示さないので、自分の世界にこもりがちなのですが、子どものうちは諦めずに広い世界を見せ続けることが大事だと私は思っています

 

夏休み明けの漢字テストが0点で、学校の先生に注意されてしまった、
これからどうしていこう、という相談に対する返事です

あれこれ考える習慣のある子は、どんぐりの環境設定で「漢字練習ができない」という縛りの中で、自分なりに知恵を働かせます
いかに、練習せずテストでいい点数を取れるか、競うように楽しんでいる子もいます
「宿題をしない」=「勉強しなくていい」なんて言っていないのです
テストでいい点数をとることは必要ない、無駄だ、とも言っていません
とりたきゃとればいい
そんなの大人に言われてするものじゃないから、小学生なら簡単なことで、
やっぱり競争意識とか、他者の目とか気にする学年になってくると、面白い知恵を使い出すんです
そんなわけで私の子どもたちは毎回ほぼ満点だったと思います
それぞれが知恵を働かせて、いろんなことをしていましたが、同じ文字を何回も書くような漢字練習はもちろんしていません
どんな工夫をしていたのかは、それぞれ違うし、ある生徒は年上の子とおしゃべりしていて知らない漢字の話になると、「それは『下』の教科書に出てくるからまだなんだ」と説明していて大笑いしました
学校で習う順番なんて、子どもにとってはどうでもいいことで、ただの「教科書の中」の話です
その子はその漢字を知っていたし、読めるけど、教科書にすでに目を通しているので、どの漢字をいつ「習う」のか、まで覚えているのです
先日は、オルタナ校に通っている子の保護者さんから、漢字にふりがなのついていない本をどんどん読んでいる、という話を聞きました
「なんで漢字が読めるんだろう、教わっていないのに…」と親御さんが不思議に思って聞いてみると、どうやら文脈から勝手に読み取っているし、何回も出てくる漢字は自動的に読めるようになっている、ということのようでした(そう説明されたそうです)
子どもと漢字の出会いって、それでいいんだと思います
学校に行っていれば「今日習う」「来月習う」と一応、順番が決まっているけど、実際には子どもの世界の周囲には漢字は溢れかえっているわけです
今学校の「旬」の漢字を一生懸命練習したとて、短期記憶に過ぎず、興味がなく、生活に関わらなければあっという間に忘れてしまいます
使わなければ忘れます
漢字練習は、真似れば誰でもできるので、「全員が揃って、誰でもできる家庭学習として漢字練習を宿題に出すようになった」と以前、小学校の先生達もその歴史を語っていました
学力向上のためじゃない。同調、管理のため。とはっきりと。

全員が揃って、同じことをせーのでやることが全て悪いわけではないのです
学校生活には多少なりともそういう場面があるもので
イヤだけどまあ、ここではやっておくか、みたいな小さな練習を重ねて集団生活を維持している子どもたち
でも、最近は大人がそれをいいようにコントロールして、子どもが考えなくなってしまうような支配をするようになってきています
学校以外の地域や、遊びの中でも子ども自身の心身が解放されるような自由度はなく、余計に学校生活での管理がまずいことに影響してしまっています

話が飛躍してきたので戻します

冒頭の文章で、私が学校の先生の思惑について書いたので、こう返事がきました

「学校の先生は、このままだと勉強についていけなくなり、学校に来られなくなるのでは、と以前言っていたので」と

これまたおかしな話になってきますよね
あれっ

おかしくないですか?

ここでケーススタディみたいなの、やってみたいけど、さて、どうでしょう
ちょっと考えてみてください

多いんですよね
「宿題をやっていないとテストの点数が悪くて、テストの点数が悪いと学校に行けなくなってしまう」
「レベルの高い高校に合格して入学しても、そのあとついていけなくなって行けなくなってしまう」
「中学生になったら最初から塾に通っている子に負けてしまって、学校に行くのがイヤになってしまう」
という、大人の予想
先生も親御さんたちも、なんで、口を揃えてこんなことを言うようになってしまったんでしょう

少なくとも私の30数年の定点観察では、
ここ最近です
みんなが同じことを言う

変だな
変ですよ

さて、私が何を変だと思っているか、考えていただけましたか?

わかりやすく極端な例で文を綴ってみます
それぞれの全てのケースに同じことが言えます
6年生でも高校生でもね

勉強ができないと学校に通えないんですか?
テストが0点だとなんで学校に行きたくなくなるんですか?
そこがおかしいと思うんです

トップ進学校で学業成績最底辺付近の子が退学するケースがあります
でも、同じ高校でその子とワンツーだった子が生き生きと卒業、進学していたりもします
中学上位の子が300人集まれば、300位なんて取ったことのない子がとることになります
そんなの想定内でしょう
両者の違いはなんでしょうか

話を漢字テストに戻します
0点だと、クラスメイトがあれこれ言うのかな
それを先生は危惧しているのでしょうか
テストの点数はオープンなのでしょうか
学校の先生は「漢字テストが0点だと学校に行きづらくなる」と思い込んでいるけど、
学校ってそんな場所なんでしょうか
漢字テスト高得点の子が居心地がよくて、
そうじゃない子が居心地が悪い
そんな環境なんでしょうか

そんな学校、私だったら、100点とってても行きたくないな

それが今の学校の問題点なんじゃないでしょうか

子どもたちはあからさまに言うでしょう
「おまえサッカー下手だな」
「このゲーム持ってないのかよ」って平気で投げつける連中です(笑)
小学生の残酷さは昔から何も変わってません

漢字テスト0点がバレたら悪口を言われるかもしれない
でも、学校の先生から見て、漢字が苦手な子に悪口を言う子は、
守るべき存在で、放置しておいてもいい存在ですか?
私ならとっつかまえて話しますよ
「今なんつった?(←群馬弁?)」

そんなの許されないよ、
人の苦手なことを暴露して、批判して、相手がもし傷ついていたら、それは、加害者ですよ、って
教えるのが学校では

それにもし、誰かに0点だとか勉強できないとかで悪口言われるわけでもないのに、
自分から「できないから行きたくない」と思うのだとすると、
幼いながらも「完璧主義」が身についてしまっている可能性も
できなきゃいけない、良くなきゃいけない、っていうことに縛られて、苦しんでいる可能性も


で、
もうひとつ言うと、そんな限定的なことで傷ついてる場合じゃないんだ…ってこともあり

0点だろうが、
最下位だろうが、
それがなに?って堂々とその場をすり抜ける強さが必要だと
親の仕事は、
そんな風に子どもを逞しく育てることだと


親が「なんとかしよう」って先に手出し口出しなんかせず、計画もせず、できれば思わずに堂々としていると、
子どもは自分で自分のことを「なんとかしよう」と思うみたいです
なんとかしたいときに、なんとかしようとするみたいです
だってそうでしょう
子どもの側に立って想像してみると、
親が自分を「なんとかしよう」って思って見ているわけですよ
自分が誰かに「なんとかしよう」って目で見られ続けている、と想像してくださいな
それより、そんなのなしで見られているだけなら、
よし、驚かしたろ、喜ばせたろ、って勝手に頑張り出すかもしれません
もっと自分のこと好きにさせたろ、って
好きな人にだから、あったかい目で見られていたいじゃないですか

小さい頃からの積み重ねではあるけど、
習慣は今すぐに変えれば明日には少し変わっているはず
思考習慣も同じです

苦手なものをなくしてあげよう、って画策する前に、
苦手なものがあっても大丈夫な人間に育つといいな、ってまず思うように
その中でも、自分の得意なことがあって、誰かの役に立つことや、誰かをほっとさせることや、
誰にでも、かけがえのない能力が備わっているから、
それを、とりかえっこして生きていけたら、
幸せになれると思うんです