(ネット上の画像をお借りしました)

清川輝基先生の講演会(2023年11月)の感想文、2回目です
前回、子どもの遊び場がなくなったことが子どものメディア漬け傾向へのきっかけになったと考えられる、ということを書きました
私が子どもの頃から、すでに、子どもの遊び場が大人の都合、社会の都合でどんどん、どんどん、なくされてきたと
それは、昨今、野生動物が人間の住む町や人間の往来する山道などに平然と現れ、事故が起こる…それと似た原因なんじゃないかとも考えられます
居場所がなくなれば、暮らし方を変えるしかない
新しい居場所を探すしかないのですから

1回目を書いてから数日たち、家族で話したり、仲間と少し話したりする中で、結局、どこからどう修正していけば、子どもの暮らす環境はもっとよくなるのか、結論は出ないことに気づきました
そういえば、いつも同じところに行き着くんだな、と気づくのがオチなんです

これは国家的な問題なのだ、と清川先生は断言していました
他国では、ネットや電子画面の危険性、特に、子どもの依存性についてしっかりと調査し、議論し、制限を作っている
なんの制限もない、国としてなんの対策もしていないのは日本だけだ、と

そんなことだから、一般家庭の親御さんたちが「危険だ」「制限したほうがいい」なんて自主的に思う方が珍しく、たとえばそれは、原子力発電所とか、食品添加物とか、そういうのとほぼ変わらず、「売ってるんだから大丈夫」「テレビでいいって言ってたから大丈夫」みたいな、謎の保証を信じてしまうのと何らかわりはありません

清川先生がいくら力説しても、私が何度も同じことをこうして書いても、国がなんの規制もしない、なんの危険性も示さないのでは、「そうは言っても、本当に危険なはずはない」と背を向けられてしまうのも必然でしょう

たとえば化石燃料はどうだろう、と清川先生は問題提起してくださいました
豊かさ、便利さ、楽しさを追求し、何の躊躇もなくそれらを燃やし続け、いま、地球がどうなっているのか
極地方の人たちは暮らしも危うくなり、人間より前に生物たちに多大な影響が及んでいる
都市に住む人間達に実害が及ぶのはきっと、もう取り返しがつかなくなってからだから、いま、本気で危険だからやめようよ、気をつけようよ、なんて言い出す都市の一般人はほとんどいない
自分の知らない遠くの国の人が、環境の変化によって住んでいた土地を追われているのに、私たちの毎日の生活はまだまだ、化石燃料に依存し、消費するしかないものだから
実際には、地球はまもなく、人類が暮らせなくなる状態になっていくのに
それでもようやく、地球環境について、化石燃料について、資源について、国際的な取り決めや、世界を挙げてのスローガンが誰でも知りうる範囲であがってきている
海洋マイクロプラスチック問題も
マイバッグが普通になり、紙のストローもよく見るように
それでも、それを環境のために自ら考えて行動している人は少なく、お金がかかるからマイバッグを持つしかない、出されるから仕方なく紙のストローを使う、というくらいの意識の人が大多数だと思われます
だって、自分に実害が及んでいないんだから
どんなに海洋生物が苦しんでいても、水産資源に影響していても、実は海産物を食べている自分の体の中に蓄積されているんだとしても、実際に、自分の体が痛くなったり、お財布や通帳からお金がなくなったり、住まいを追い出されたりしない限り、「じぶんごと」とは思えない人がほとんどなのですから

そして、これは昔から何度となく繰り返されていること
自分に実害が及んで初めて、反対したり、拒否したりし始める
でも、その時は既に、手遅れになっている
最初からずっと、気をつけたり、反対したり、拒否したりしていた人たちのことも一緒に、犠牲にするしかなくなってしまっている

色んな人と話していると、子どもの環境のことだけじゃなく、いろんなことがずっと、その繰り返しじゃないか、特に、日本は、ずっとずっと、この、国民の「忘れてしまう性質(喉元過ぎれば熱さを忘れる)」それから「自分ごととして想像しない性質(対岸の火事)」を利用して、エライ人たちの都合のいいように操作されてんじゃないか
って思うしかなくなってくるのです
だから、どんな結論を選ぶでもいい、意見が違ったっていい、忘れてしまわず、そして、自分ごととしてとらえ、ちゃんと考えようよ、ってずっとずっと、伝えているんです

講演会の最後に、質疑応答がありました
「いま、学校でタブレットを使わせているんですけど、それはどう対処すればいいでしょうか」と質問した方がいました
清川先生は、学校にタブレットを配布するに至った経緯を説明してくださいました
前回の講演でも話してくださった内容でした
国は(敢えて省庁名は伏せます)慎重に配布する予定だった
電子画面の危険性については、専門家の清川先生に直接相談があったほどだった
配布する前に、4年ほどの時間をかけて、計画的に学校側、教師側の研修を丁寧にした上で配布することになる、と言われたそうです
それが、コロナですっかり飛び去り、なんの研修もなく、危険性も知らないまま、数年分の予算が前倒しになり、配布だけが実施されたわけです
清川先生の回答はこのことを中心にされていました
さあ、それじゃあ、各家庭としては、この回答、この現実をどう受けとめればいいのか

それは「宿題」と同じです
すっかり覚えている子も、1文字書くのも大変な子も、同量の漢字練習の宿題
理解してサクサク解ける子も、1問解くのがやっとの子にも、同量出される計算ドリルの宿題
「有識者」の多くが、これらの宿題をなんとも思わずこなしていたからなのでしょう、「そうは言っても、基礎的な漢字練習や計算練習は必要です」なんて平気で言ったり書いたりしている人がいるけど、私は子どものそばで生き続け、見続けてきて、全くそんな風に思いません
漢字練習をすれば漢字を覚えることができる、計算ドリルを毎日すれば数学が得意になるのだとしたら、全国の子どもたちがみんなそうなっていいはず
実際、私の教室の生徒は宿題制限をしていますし、環境設定(どんぐり用語:メディア制限と宿題制限と外遊び)が完璧に近い生徒に関しては6年間ほぼ宿題をしていないのですが、中学、高校で学業に悩む子はいません(むしろかなりハイレベル)
そう、つまり、なんの根拠もなく、(いえ、本当は根拠はあるんです。宿題の始まりは「底上げ」だったのですから)エビデンスもなく、闇雲に子どもたちに課され、罰則まである、それが宿題

タブレットはどうか
危険性が想像されていたのに、他国では失敗例もあり、制限されている国がほとんどなのに、その対策もないまま配布され、家に持ち帰らせる学校も増えている状態

それでも、学校の指示に従いますか?ということです
それが各家庭の考えること、各家庭が行動に移すべき部分です
講演会の時、隣に座っていた学舎の仲間は言いました
「そろそろタブレットの持ち帰りが始まるんです。ま、うちは拒否しましたけど」
あっさり
通信生の家庭からも方々から報告が来ています
タブレットの宿題はやらせない、家にも持ち帰らせないでください
と、きっぱり伝えた、と
学校側と深刻な話し合いみたいになってしまった例もありますが、
ほとんどのケースでは学校側は快諾(またはしかたなく承諾)しています

前回の講演では、学校の教師から同様の質問がありました
自分が育休している間に配布されていた
子どもたちが家でゲームをしたりして困っている、と保護者に言われている
どうしたらいいのか


清川先生に質問することじゃありません
自分にできる精一杯のことをやってみたのか?と私と仲間はその質問が出たとき、あっけにとられて思いました

勤務先(学校)に言われたから使わせる
持ち帰らせろ、と言われたから持ち帰らせている
保護者からはゲームしてて困る、と苦情が来ている
どうしましょう…

なんて、こちらが聞きたいです
それでも教育者でしょうか

でも、
いま、
学校(勤務先・管理職)にたてついてまで、その方針の問題を訴える先生などほぼいません
どんなに生徒が苦しんでいても、保護者が困っていても、
親身になって一緒に考えてくれて(ここまでは、まあ、いることはいる)
一生懸命行動に移してくれる先生は、ほとんどいないんです
残念ですが、いないんです
会社員の方は想像がつくでしょう
そんなことをしたら自分の身が危険なことも余計にストレスが溜まることも
(今や、学校も企業と同じですから…)

しょうがないんです…
教育委員会が…
あなたの家庭はいいけれど、他の家庭には問題を抱えたケースが多いんです
いろんな家庭があるので…

何度そんなことを言われたことでしょう
学校での話をしているのに、教育委員会や、家庭が…と、完全なる責任転嫁です
学校にはどうにもできないんですよ、勘弁してください、と
私は我が子が義務教育9年間を終えたとき、
結論を出すしかありませんでした

申し訳ないけど、任せておくわけにいかない
申し訳ないけど、信頼して、期待することもできない
任せて、信頼して、期待して、裏切られて傷ついたり、取り返しのつかないことになって困るのは、我が子と、家庭なのだ、と

だったら、最初から「そんなもんでしょう」と思ってつきあえばいい
責任を委ねなければいい
言うべきことは言い、すべきことはし、協力できることはする(実際、全力で協力してきました)けれど、期待も信頼もしない、と
結局、小さな問題はいろいろ起こったけど、親にも子にも大変いい経験を重ねて義務教育期間は終わりました
素敵な先生にもごくわずかですが出会えて、救いの星を見た気分になった期間もありましたが、この人はプロの教育者でないのは確かだけど、それ以前に、人間なのかな?と疑ってしまうような人に出会ったことも数知れず
それでもまあ、期待もせず、家でしっかり子育てしていれば大きな問題には感じませんでした
ここが、皮肉にも、理想的な学校環境でない方が学びが多いかもよ、と私が敢えて推奨する部分でもあります
逞しく育ちます


タブレットを配布される

甘んじて(または何も考えず)受け入れる

子どもが電子画面依存になる

視力が低下する

思考力が低下する

取り上げると親子げんかになる


この過程の、どこに「自分で変えられる修正点」があるでしょうか
最も容易な修正点はどこでしょう

甘んじて(または何も考えず)受け入れる

の部分ではないですか

私の仲間達は
きっぱりと、家庭の方針を伝え、拒否しています
どんぐりの仲間達の多くがそうしています
できるんですよ
そして
子どもに拒絶されたら?

そこからは、親子の問題です
宿題問題と同じです
親子の信頼関係の課題が浮き彫りになります
それはそれでチャンスです

親のことを信じているのか
親と意思疎通が図れているのか
子どもの態度でよくわかります

たとえタブレットを使わせる選択をするのだとしても、
そこは揺るぎなく関わってくる部分です
タブレットやスマホを持ったらアウト、ということではなく、
持たせるなら持たせるで、それ以前に、親子の信頼関係はどうなの?
子どもは親を信頼しているの?という点が大きく関わってきます

それをこそ、
責任転嫁せず、深く省みる必要があるのです
タブレットのせいで…ゲームのせいで…なんて責任転嫁なんです

子育ては、手抜きをしたらアウトです
何がアウトで何がセーフか知らないけど、
アウトっぽいことが待ってるのは事実
結局いつか大変な思いをすることになるんです
子ども自身はもちろん、
親御さんにとっても

今回は家庭でできる対策、行動について書きました
国も学校も制限しないなら、家庭でするしかない
だって、制限しなきゃやばいんだから
って話です

国や自治体が規制をかけようとしたことは実は何度もあるんです
でも、規制や条例が実現することはありません
なぜ?
それは昔から変わらない
業界が動くからです
ビジネスの邪魔になるような条例や規制は、困るからです

誰も子どもの心身の健康のことなど真ん中に置いていない
親御さんたちはどうですか?
真ん中に置いてますか?
置いてるだけじゃなく、ちゃんと全身全霊で、守り育てる気持ちはありますか?

次は、家庭の負担について清川先生のお話を思い出しながら、感想をまとめてみます
ひとりで背負い込まないで
みんなで背負い込めたらな