0mx09宇宙からの贈り物
時系列に沿って描いていき、物語を理解すると間違えることはないはずなんだけど、
たくさんの子どもたちが惑う難問のひとつ
1回目の挑戦でするりと解いてしまった1年生の作品

どんぐり倶楽部良質の算数文章問題(通称どんぐり問題)には、
「別解」があります
大人の方で解いてみたことがある方は気づくことがあるかもしれませんが、
問題文の読み取りようによっては質問されたことに対して答え方が何通りか考えられることがあるのです

随分むかし、こういうことがあまり広く知れ渡っていない頃には、私のところにも「別解が考えられるんじゃないか」と問い合わせが来ました
当時は「別解あり」と問題集そのものに明記はなかったので、私も「はてな…」と思い、糸山先生に質問してみたことも何度かありました

「いいですね~ ありですよ~」てな感じに返答をくださる糸山先生の真意が、当初は正直よくわからなかったのですが、今となっては心の奥底から納得できる状態に至っています
だって、「正解」がなんだっていうの?っていう、どんぐりワールドなんです

確かに、「正解」にたどりつくまでの模範的な過程(←こんな言葉が似つかわしくないのはわかっていて書いています)はある程度指導者の中でも想定はしていて、それに近い解き方をする子を見て「ふむ、そうね、そのとおりだね」と妙に納得することは隠さず言うと、あります
でも、
私がもっと興味深く「ふむ」と頷いてしまうのは、私の想像を超えたアプローチで正解にたどり着こうとする子どもの作品のその過程です
たとえ正解とかけ離れた方向に向かっていたとしても、なぜこの子はこれを描いたんだろう、どこをどう読み取ってこう描いたんだろう、と興味を持って作品を眺めていると、自分にはない考え方や、理解の仕方を子どもたちに教わることがたくさんあるのです

たとえばどんぐり初期段階で出会う、そのことが最も顕著にわかる問題「0MX07」はどうでしょうか
(ああ、残念…この間これを解いた年長さんの作品が画像ファイルに見当たらない…)

海と空の会話の中で、どっちが青いか話しました。海は自分は信号機の青を6個つけた分くらい青い、と言いました。空は自分は海くんの青さの半分の青さだねと言いました。それでは、ふたりの青さを合わせると、どれくらいの青さになると思いますか。
(本当は全てひらがなです)


正解は「信号機9個分」です
大人の方なら絵を描かなくても、式を描かなくても「空は海の半分で3個分だから合計9個分でしょ」と簡単に答えが出たと思います

「算数経験」の多い子どもも、同様に「6+3だから9でしょ」と簡単に答えを出します
一応、絵は描きますが、頭の中で答えが出てしまう子もいます

でも、
この問題こそ、いろいろな「正解」が出てくる不思議な仕掛けのある問題なんです
私の中ではそれら全てを「別解」として受けとめています

私の記憶の中で申し訳ないのですが(画像がなくて申し訳ないのですが)
ある子は
すっごく青い
と答えました
なんて答えたらいいかわからないな…と言いながら、クロッキー帳のページをできるだけ濃く、青く、塗りつぶして「このくらい」と答えた子もいました

いやいやいや、それじゃ算数の問題にならないでしょ
ちゃんと「半分は3個」だから「合計で9個分」と答える方向に導かなくてはいけませんよ
と、
思う大人の方も多いかもしれません

でも、
これらの別解を書いた子どもたちの頭の中を想像してみてください
空と海とで青さ自慢をしているんです
それぞれにかなり青いんです
そして最後に、「合わせてどれくらい青いか」と質問されるんです
そりゃあ、空と海との青さを合わせるんだから、すっごく青いに決まってる!と、
彼らは、自分の見たことのある空や海を思い出しているに違いありません
信号機何個分、なんてことは忘れちゃいます
確かに最初、海の近くに信号の青を6個描いていたはずなのに(笑)

似たような問題に、0mx14・かめさんのあさごはんがあります
亀は毎食「葉っぱを半分」ずつ食べるのですが、「亀さんが1日で食べる葉っぱはどれくらいか」と質問されます
正解は「1枚と半分」なのですが、これまた別解が多く出てきて愉快な問題のひとつです
でも、子どもたちは頭をひねります
葉っぱを半分しか食べないで、残してしまうんだな、と解釈する子もいます
もったいないけど、残した葉っぱはもう次の食事では食べないんだろうな、と
そうすると、毎食、毎食、亀くんは食事を残してしまうので、用意する葉っぱはその都度1枚ずつ、つまり、答えが「3枚」と出る子もいるんです

もし、動物園や水族館の飼育員さんだったら、亀さんが毎食何gの食事をとったか、葉っぱを半分食べたかチェックしていて、3食分を合計したらきっと「葉っぱ1枚と半分」と正確に記録しなければならないでしょう
でも、子どもたちは正確な分量を答えるのではなく、その他の事情を勝手に思い浮かべて、自分なりの答えを堂々と書いてきます

いつからか、私は、私の想定する解き方や、模範解答とは全く違う答えが出てくることをわくわくしながら待つようになりました

いえいえ、でも、ちょっと待ってくださいよ
それではいつまでたっても学力向上につながらないのではないでしょうか
算数ができるようになることとはかけ離れていませんか?
どんぐり問題は国語の読解力も鍛えられるというけど、そんないい加減な何通りもの読み取り方を許していていいんでしょうか?

そんな質問が飛んできそうですね

実際には個人差があり、子どもの状態によって簡単に線は引けませんが、そういった質問が飛んできたときに私が指導者(親御さん、大人の方)に主張して説明するのは、「そういう時期が必ず必要である」ということです
年長さんから3~4年間くらいは、そうですね、3年生までは別解や、ファンタジックな想像力で自由に描いて解く状態を喜ばしく見守って大丈夫、ということです
だから、たとえ高学年からどんぐりをスタートする場合でも、「0MXは必須」というどんぐりマニュアルがあるのです
高学年スタートでも、童心にかえって、全て絵にする、暗算しない、というところがとても大事だということです

どんぐり問題を始めてすぐに、模範的な絵を描かないことや、正しい答えが出ずお宝ばかり…となってしまうことを悩んでいる方も少なくないようです
私や他のどんぐり先生がいくら「正解にはこだわらないで」と訴え続けていても、糸山先生がいろいろな言葉で「どんぐり問題使用上の注意点」を示してくださっても、なかなか個々の親御さんが心から納得するに至っていないのがよくわかります

もう一度言います
簡単に線をひっぱることはできませんが、「小学校低学年までは」前述したようなどんぐり問題の読み取り方、別解等々、心から安心して見守っていて大丈夫なんです
その「線」が、後ろにずれることはあっても、前倒しになることはあまり歓迎できません
子ども時代をいかにゆっくり、のんびり、幼く過ごしたかが、実はその後、強く優しく賢く飛躍する大きな原動力となるからです

どんぐり問題に限らず、「正解」がある問題について、幼少期からたとえば解き方を教えたり、別の答えが出たら正したりしてできるだけ速く・正確に解けるように教育した場合、もうおわかりかと思いますが、子どもは自分から自由に伸び伸び考える方法を知らないままどんどん成長してしまいます
学校ではもちろん、正解や不正解をはっきりと指摘してくるでしょうから、それを助長するような家庭教育をしていたら、もう、思考の逃げ場はありません
子どもは、大人が教えた通り、大人が正誤を判定するのに従って、ただただ、できるだけ大人の意向に沿って頑張ろうとします
そういう教育をされた子が、高学年になり、中学生、高校生になり、また、自分の人生を生きる、という自律の段階になっていったいどのような行動を選ぶでしょうか
最近では中学生でも高校生でも、大学生や就職した子どもに対しても、いつまでも親御さんが積極的に関わるケースが増えていて、やはり子どもはいつまでも大人の判断に従ってついていきさえすれば、ある程度までは「順調」に生きていけるように見えます
塾にがんじがらめにされないと勉強しない中学生や、将来の進路を親の言う通りに決めていく高校生が多いのも、子ども時代の延長であり、子どものせいではありません
親がいつまでも、自分が模範解答を教え、模範解答にできるだけ近づけるよう教育しようとした結果です

(神様の言いつけ通り、片方の手に16個ずつのお星様を集めたうさぎ)


(ねんどだるまのひげを全部丁寧に描いて数えたら正解が出ました
正解の文字が上手過ぎて、「先生の字みたい!」と6年生女子と目を丸くして眺めていたら誇らしげな顔をしていた1年生男子)


(くじらの曲芸は太平洋で行われていたようで、すごいカメラで撮影しています)


(めだかのメガネの問題も子どもたちを悩ませる面白い問題のひとつ
見えているけどないものを、どうやって描くのか、毎回楽しみです
釣りをしている人から描き始めるのがたまらなく興味深い!)


さて、
低学年時代にたっぷりとどんぐりワールドを楽しんだ子どもたちは高学年になると成長して、どんぐり経験者として余裕が出てくるようです
「別解」とはいえ、「正解」としてクリアした問題として処理するのか、いつか再挑戦するお宝問題として封印するのかは私は自分で判断して決めています
まあ、たいてい「お宝」に封印するのですが、この低学年時代の「お宝」が高学年になると本物の「お宝」になるから本当にここは強調して申し上げたい
いつかのお宝のために、低学年時代を満喫してほしい!

高学年になって再び「空と海」「亀さんの朝ご飯」等の問題に出会った子どもたちは、もう、「すっごく青い」と答えたりはしません
「空は海の半分だから信号3個だよね、だから合計9個分」とあっさり解きます
もう、その頃には「数量感覚」が身についていて、何かを基準として比較していることもわかってきています
最初の信号6個分、というのが比較基準になるんだな、と理解できるのです
亀の食事の分量だって、半分が3つ集まったら、1枚半だ、とすぐにわかるのです

年長さんや低学年でこれがすんなりわかったら、逆に危険なのか?というとそういうことでもありません
楽しんで無邪気に描いていて、数えて正解しているならバッチリなんです

ただ、自由に自分で考えているかどうか、ということだけが、本当に大切だ、ということです
正解だろうと、別解だろうと、完全にどちらからもかけ離れていようと、
低学年の間は素直に全部絵にしていて、自分なりの答えを出したなら、喜んで受けとめてあげてください

また、どんぐりを始めてもちっとも楽しそうに描かない、読み取れなかったり、正解が出なかったりすると怒ったり拗ねたり泣いたりしてしまう、というケースでは、すでに、そこまでの短いお子さんの人生で「正しい模範的な解法があること」や「早く正解が出ること」以外を恐れるような経験を積み重ねてしまったからだということを近くで生きる大人として、責任者として自覚してください

また、いわゆる発達障害と診断されているお子さんの場合もどんぐり問題では決まった解き方もなければ別解も楽しめるため、かなり有用です
私は発達障害のお子さんに対する専門家ではありませんが、これまでたくさんのそう「診断された」子や、その「傾向がある」と専門家に言われた子どもたちとどんぐりをやってきました
どんなお子さんであろうと、同じタイプのお子さんなんかいないので、本当に、現場での体当たり実践ですが、それでも、私の場合、どんぐりを介して子どもたちと出会えて本当に幸せだ!と感じることが多いのです
だって、どんな子でも「いま」の自分で始めることができ、「いま」の自分で続けることができる
ノルマもなければ、レベルもない(そういうことを決めたい人がいるけど、決めなくてもいいこと)
楽しく続けることができると、その先にその子なりの進化が必ず待っているからです

間違っても、「どうやったら正解に近づけるのか」なんて教え込んだり、子どもが描いた作品を訂正して教え込んだりしないでください

どんぐり問題にしろ、他の教材にしろ、低学年の間はただの整理学習のひとつです
それよりも、日常生活や遊びの中で、子どもはその年齢なりに学び取れることをひとつひとつ獲得している段階だということを、理解してください

早ければ早いほどいい、
できないよりできるほうがいい、
そんな価値観が、実は子どもの将来のとんでもなく飛躍できる可能性を、
大人が牽引する必要もなければ牽引するどころかついていけなくなるような素晴らしい飛躍の可能性を、
つぶしてしまっているかもしれないことを、どうか心にとめておいてください


これらの証言が、
実際、親が教え、支持し、牽引するどころか
「親はもうついていけない」というくらいの状態になっている中学生以上の元どんぐりっこたちを私が実際に見ているから発しているものであることを、どうか信じてください