私が中学生の時に愛用していた旺文社の参考書
夕べ、中2DKさんたちにそう話したら、目を輝かせて話を聞いてくれた生徒がいて泣きそうになりました

クラス全員が塾に通っている中、私は「貧乏人は塾など行けぬ」と思い込んで最初からひとりで勉強していました
小学生の頃は英会話とそろばんの有名な塾が町内にあったので、やはりみんな通っていましたが、私は小さなピアノ教室に歩いて通い、ときどき合唱団の練習にバスで通っていたくらいで、他には何もしていなかったし、そんなことする暇はありませんでした
遊ぶのも忙しかったし、
考えるのも忙しかったんです
考える、って時間がかかることでしょう

中学生で塾に通っていないと、学校から出される課題やテスト範囲の復習をしているとき、わからないことや、解けない問題にぶつかったとき、本当に困りました
教科書や、学校の問題集の域を超えたような問題にぶつかると、自分なりに考えはするのですが、どうしてもぶつかる壁がありました
そんなとき、この小さな参考書達が私にたくさんのヒントをくれました
まるきり同じ問題はもちろん載っていないのですが、似たような問題を探して、それらを組み合わせて、なんとか自力で解答を見つけました
解答を見つけただけでは不安定なので、そこからは自分なりに自力で全て解けるように解法を考え、解説を書いておくのです
テストミスの解き直しノート(わからん帳。DKではQノート)ももちろん作っていました
提出先はありませんでしたから、自分で自分のために解説をまた書くわけです
そんなことをしていると、時間はどんどん過ぎていきます
塾に行っていなかったので、そんな時間はたっぷりありました

誰かに解き方をいちから教わりたい、と思ったことはないし、もし当時そう命じる大人がいたら反発したに違いありません
それは、幼い頃から父に、「自分の頭で考えてごらん」と言われ続けていたからかもしれません
いま、私が生徒たちに描いている解説のほとんどは、私が中学生の時に自分で自分のために描いていた解説と同じです
いま、「教えない塾」「独学支援室」を実教室、通信で開いているのも、私がこれらの本の代わりとなって、彼らが自分で考えることを少しだけ助けるためであり、教室の方針で無理に牽引するような教室ではないんです

今の中学生のほとんどは、「指示待ち」で、命じられたことだけをやっている状態です
先生達も生徒たちに何かを命じてやらせることが当たり前のことになっています
「学校の当たり前をやめた」、という先生も東京にいましたが、群馬にそういう先生がいるという話は聞いたことがありません
その、工藤先生を尊敬している、という群馬の管理職の教員と話したことはありますが、思い切り管理教育を徹底していて苦笑してしまいました
どこをどう尊敬しているのかもう一度聞かせて頂きたいものです

定期テストの前には新聞より小さな字でびっしりと、どこそこのなにがしを勉強しておけ、と注意書きがついたテスト範囲表がどこの中学校からも発行されます
たくさんの中学校の生徒が来ているので、いろいろな範囲表を目にしますが、だいたいどこも同じです
テストは教科書のこの単元とこの単元です、では済まないのでしょうか
細かい指示が書かれれば書かれるほど、真面目な生徒たちはそれを読み逃さないよう必死に指示に従おうとします
大半の生徒はそんなことには慣れっこです
命じられたことをこなせばいい、
そうすれば悪目立ちしないし、先生からも叱られない、とわかっているからです
でも、それってすごく疲れるし、まず、楽しくないはずです
だから成績は優秀でも、勉強は苦行でしかないと思っている子も多いです
中には全く順応できていない子たちもいます
命じられることに辟易していて、勉強に対して前向きになれなくなっているのです
そういう子たちはもちろん、テストでよい成績はとれないし、
そのことでいつも苦言を呈され、大人を信じたくなくなっています
テストでよい成績をとらないと将来の選択肢がない、くらいに脅され、そうなれば将来の希望など持てるはずがありません

私はそれらのどれについても、
小学校時代の日課の宿題(お粗末三点セット+自主勉という名の強制課題)が原因となっていると思えてしょうがないのです

※お粗末三点セット…計算ドリル、漢字練習、音読

最近、6年生の子を持つ保護者さんたちから異口同音にこのような話を聞きました

来年は中学生になるのだから、勉強時間をしっかり確保していく必要がある
中学生になったら学年+1時間は勉強するのだから、6年生はその練習として1時間は机に向かってしっかり勉強しなければならない
そういう習慣をつけておかないと、中学校で挫折する
だから、1時間程度かかる宿題を毎日出すことにする

聞いた話をまとめましたが、総合するとこのようなことを、6年生の担任に言われた、とのことでした

「1時間かかる宿題を毎日出す」ということが、
自主的に学ぶ中学生が育つのを阻み、自主的に学ぼうとする心を折り、エネルギーを奪うことに、小学校の教師は気づいていないのでしょうか

もう、敬称すらつけたくなくなるほど、多方面から聞く同様の話に呆れています

このように担任に言われて真面目に受けとめる親子たちは、1時間しっかりと宿題に向き合い、命じられた課題をこなす、という練習を重ねます
命じられた課題だけで1時間かかったら、自ら考えて工夫したり、他の解き方はないかと模索したり、楽しんだりする脳の体力など残っていないことでしょう

また、6年生ではありませんが、宿題交渉のこの季節、やはり方々から異口同音に次のような教員の対応も耳に入ってきます

無理矢理にでも漢字を書かせ、速く大量に計算できるようにさせることで将来の役に立つ
子どもが嫌がっていても泣かせてでもやらせてこそ、学力は身につくのだ
宿題をやらせない、などと子どもを甘やかしていたら、将来、無気力で無能な大人になってしまう可能性がある

この教員は無理矢理書かせた漢字や、意味もわからないまま速く大量に計算した苦行が将来どんな「役に立つ」と言いたいのでしょうか
「子どもが嫌がっていても泣かせてでもやらせる」のは宿題の場合、親の仕事です
それで家庭内の空気を乱し、親子関係を険悪なものにして、それでも「学力」は得られる、というけど、「学力」っていったいなんだと思っているのでしょうか
そして、宿題をやらせないでいると、将来「無気力」で「無能」な大人になる、というけれど、「学力」や「思考力」の本質も知らず、教育を本職とし、親子に一番近い小学校の教員をしているあなたは、
気力に溢れ、有能な人間だと自負しているのでしょうか
この多様化社会で、さまざまな生き方を選択できる時代、それでも、管理職に命じられたか、学年主任が相談も検討もなく書面で通達してきたのか知りませんが、何十年も変わらない「お粗末三点セット+自主勉という名の強制課題」を子どもたちに強いて、「ちゃんとやらせてください」と親にまで命じて、それで、どんぐりの保護者のように「宿題についてご一考願いたい」とお願いする人に「それでは無能な大人になる」「中学校で挫折する」という根拠のない(追跡調査も中学校との連携もしていない)乱暴な言葉を投げつけるなんて、それはただ、「みんなと同じことをしない」ということで管理しづらくなることを気にかけているだけにしか見えないのです

厳しいことばかり書いていますが、
最近、方々から聞く学校の様子に、本気で危機を感じています
子どもたちはどんどん自主性を奪われ、
自分で考えてみたい、と立ち止まる子は評価対象外となっていきます

明るい話をすれば、
宿題アレンジ交渉のために連絡をしたら、「ああ、どんぐりですね。知ってます。御家庭のことは御家庭でどうぞ」とあっさりOKされた例も何件かあり、
また、どんぐりとは無関係の先生でも、「宿題は必要に応じてやってもやらなくてもいいです」と開口一番言った、という方の話も聞きました(びっくりしますけど、昔からそういう先生の評判は大人にはよくないです。宿題が多い先生の方が親から支持されるのです)

宿題アレンジ交渉の時期でビクビクしている保護者さんたちに私がいつも言うのは、
都会の中学受験が盛んなエリアでは小学校からの宿題は免除で、塾の宿題だけをしている子がたくさんいるんだよ、って話なんですけど、この市内の一部小学校でも同様のことが認められているようですよ

そういう理由で宿題免除をお願いする保護者さんたちも、どんぐりの保護者さんたちと同じくらいビクビクするんでしょうか
また、宿題マシーンとしてこっそり代筆する、という最終手段をとることもあるのでしょうか

ないと思います…

受験のためなら学校の先生も免除やアレンジを許可するしかない、ということなのでしょうか
それに、その小学校から受験して入るような中学校(群馬では受験する子が少ないのでそういう中学校に入ることの特別感があります)に進学することは、小学校的にも誇らしいということで、だから、すんなり認めるのでしょうか


自ら考える中学生
自分に必要なことを自分で獲得しようとする中学生
課題に追われ挫折することなどない中学生

そんな風になってほしかったら、
少なくとも、小学校時代に管理教育からできるだけ遠ざけることです
毎日与えられた課題を真面目にこなす、なんて練習は、小学生時代にしなくても大丈夫です
いいえ、すべきではないのです
無能な大人になどなりません
むしろ、子どもの頃にそんなことを強いられたら、それこそ指示待ちの、人生を楽しめない大人になっていってしまう恐れがあります

子どもは小さな大人ではありません
子どもには子どもの、子ども時代にしか獲得できないたくさんのことがあり、
それを大人になってから取り戻そうと思っても不可能なんです

子どもが大人の命令通り、従順にこなしていると安心するかもしれません
1時間かかる宿題を真面目に毎日やっていたら「うちの子は勤勉でいい子だ」と思ってしまうかもしれません

でも、考える力を奪われ、脳を生き生きと成長させるチャンスを失った子どもが中学生になってからたいそう苦労する姿をたくさん見てきている私には、そんな勤勉な小学生ほど心配でなりません

思考力とは何か
学力とは何か

それをよく知っている人は、
数十人の子どもにまるごと一斉に、
同じ漢字を同じ回数だけ書いてくる宿題や、
同じ難度で同じ分量の計算問題を解いてくる宿題や、
同じ文章を毎日何度も読ませる宿題は
出さないはずです

しかも、
それを1人残らず完全にやってくる、ということしか許容しないなどという管理教育を強いるはずがありません

そんなことを強要して、
それでこそ学力が身につくのだ、と言っている人がいるとしたら、
本当にそう信じている人なのか、
あるいは、目的は別にあり、
とにかく「言われた通りのことを逆らわずに遂行する」人間を育てるために上から命じられた要員なのかもしれません

いずれにしても、
学校内でされていることはともかく、(それももう、いい加減にしてほしいけど…)
家庭内ですることまでそのような方針に従う訳にはいかないのです

そして最後に、
忘れてはいけないのは、
学校が管理教育を徹底するようになってきたのは、
子どもの扱いが難しくなってきたから、というもの大きい要因のひとつです
30年子どもたちを見てきましたが、
最近の子どもたちは恐ろしく不器用で、
恐ろしく礼儀知らずで、昔風に言えば恐ろしくお行儀も悪いです(笑)
昔の子どものわんぱくさや、わがままさとは質が変わってきました
自分のことしか考えていない子が多すぎます
全員が、ということではありません、もちろん
全体的にその傾向が強くなってきた、ということです
定点観察していてただそう見えているだけなのです
「他」との関わり、「自然」との関わりが圧倒的に不足しているせいだと思われます
それは、「他」や「自然」と関わらなくなってきた世代が親になっているからなんだと

大人は好きにすればいいです
でも、子どもは?
そんな大人を見てそれが当たり前だと思って成長します
そして、あまりにも自分本位で他を思い遣れない、調和できない子が増えたために、集団行動を厳しく取り締まるしかなくなっていったのが今の学校なんだと思います
ああ、そんな考えもいいね
そんな方法でもいいね
と、子どもたちが自由に提案することをニコニコ聞いていたら、
みんな、周囲との調和や思いやりなど後回しで自分勝手に行動し始めるでしょう
(それが家庭生活では許されてきているのだから)
そうなれば、とても収拾がつかなくなる、ということなんだと
だから、給食の食べ方まで指導する教員がいるし、
宿題、という名の家庭学習まで徹底的に管理する風潮が消えないのです

卵が先か、鶏が先か
今こうなっています、と知ったところで、
状況をすぐに変えることは不可能です
ただ、
渦中にいる子どもたちを救えるのは家庭です

そして、学校で育ててもらうのではない人間として基本的なことを、
教えるのも、体験させるのも、家庭です

先生も大変なんだな、じゃあ、仕方ないな、と、
我が子の思考力の成長を犠牲に捧げますか?
我が子の伸びやかな自律心の成長にとって大切な時期を、
捧げてしまうのですか?

毎年この時期に寄せられる宿題交渉についてのご相談にまとめて返答いたしました
以下、過去に書いた宿題関連のブログです

宿題交渉の季節です2021 2021.4.14 
たくましき親たち 宿題交渉の体験記  2020.6.20
宿題はいらない!(先生達のためにも) 2019.5.30

そして、今年度初頭にまとめた「卒業文集」→→→
も、まだ読んでくださっていない方は読んでみてください
揃いも揃って、小学生時代に宿題をやっていなかった元どんぐりっこ現役高校生たち、そしてその親御さんたちの手記です

無能で、無気力な……?

その言葉と最も遠い生徒たちです