2年前に読んだ小説がNHKでドラマ化されています
『みかづき』森絵都さんの作品
最近、滅多に小説を読まない私がこの本を手に取ったのは、
「塾」というものが日本に生まれてから現在までの、
ある塾経営一家の物語だったからです

私は、自分では塾に通ったことはないけれど、
塾激戦区・受験戦争時代に育ち、
こうして、塾(のようなもの)の仕事を26年し続けています
なんだかんだいって、自分の「業界」
森絵都さんが、多くの塾業界の方に取材して書いたこの物語には、
考えさせられるものがありました

●「私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです。
太陽の光を十分に吸収できない子どもたちを、暗がりの中で静かに照らす月。
今はまだ儚げな三日月にすぎないけれど、かならず、満ちていきますわ」
太陽と月。はたして教育という宇宙に二つの光源が必要なのだろうか。
いぶかりながらも、吾郎の耳には自信に満ちた女の声が張りついて離れないのだった。●

小学校の用務員室で、勉強がわからなくなった子どもたちを密かに教えていた吾郎に、「塾」というものを一緒に立ち上げましょう、と猛烈にアプローチしてくる千明の言葉です
吾郎の指導力とカリスマ性に惹かれた小学校の児童の親でした
後にふたりは結婚(千明は再婚)し、千葉に「補習塾」を立ち上げます

高校中退、教員免許も持っていない吾郎の「用務員室」での授業を見学した千明は、吾郎の教え方に感心するのです

●「同じ教科書を使っていても、大島さん(吾郎)に教わると子どもたちは変わる。それは、あなたに待つ力があるからです」「待つ力?」「子どもたちが自ら答えを導き出すまで、あなたはよけいな口出しをせずにじっと待つことができる。簡単なようでいて、多くの教員にはこれができません」●

千明の熱意と策略で、学校を追われた吾郎はまんまと「塾」とやらを一緒に立ち上げる協力をするのですが、後に、ロシアの教育者(実在)スホムリンスキーの著作に出会います

●スホムリンスキーはウクライナ出身の教育者。ソビエト連邦での35年間にわたる教員生活から独自の教育理念を生みだし、それを多数の著作に遺した。邦訳されたうちの一冊を金輪書房の一枝から薦められ、吾郎が初めて手にとったのは、忘れもしない八年前、昭和46年の夏だ。最初の一冊から吾郎はすっかりスホムリンスキーに心酔した。子どもに対する寛容と信頼。授業への情熱。教育者としての揺るぎない信念。そこには吾郎が理想とする教育の実践があり、おおげさに言うならば、彼は生まれてはじめて人生の師を得たかのような魂の震えをおぼえたのだった。中略「子どもは生まれつき知識欲の旺盛な探検家であり、世界の発見者である。」「私の深く信じるところでは、自分自身に対する教育をうながす教育こそが、真の教育である。」「罰することよりも許すことのほうが、より激しい良心のさざめきを引き起こす事例も多々ある。」「もしも君が、教え子たちの内面に、ゆるぎなき良心や何ものにも屈しない精神を植え込むことができたなら、君の教え子は、君の戦友となり、同朋となるだろう。そして、君の教師にもなり得る。怯まずに進め!」●

学校の授業で取り残された子どもたちを救いだし、学ぶ喜びや、考える楽しさを体験させたくて子どもたちに教え続けていく吾郎、そして、家族の生活と、塾経営、授業までも一手に担い、現実をつきつけられていく千明

ふたりの考えは次第にずれていきます

吾郎のカリスマ性や真心を込めた授業のおかげもあってどんどん大きく成長するふたりの塾が、2店舗目を順調に開校したと思ったら、吾郎の見えないところで、塾の経営方針は大きく変わってきていました

●「この四月から、船橋校では通常の授業より三ヶ月も先の単元を教えていたそうじゃないか。学校の先回りをして教える、それは進学塾のやり方だろう。うちみたいな補習塾の指導法じゃない。」中略「ご存じの通り、船橋は塾の激戦区です。あのあたりの塾は、すでにおおかたが進学塾型の指導に切り替えていて、学校の授業よりも先を、先をと教えている。復習一本槍の補習塾では生き残っていけません」中略「千葉進塾は受験のための進学塾じゃない。学校の授業だけで事足りない子どもたちを補佐して、真に役立つ学力を培う。それがぼくらの領分だろう。最初に君が言ったんだ。太陽が照らしきれない子どもたちを照らす月、それが塾だと。」中略「いったい、あなたはいつまで月だの太陽だのと言っているんです。最初に私が言った?ええ、言ったかもしれません。でも、いつの話?塾が小学校の数を上まわったこのご時世に、太陽も月もあるものですか。あなたがそうやって空を仰ぎながらきれいごとを言っている間に、私は税金対策やら同業者対策やらに駆けずりまわってきたんです。」中略「君は、変わってしまった。」「時代が変わったのよ。あなたが変わらないなら、ほかの誰かが変わっていくしかないわ。この乱塾時代を生きのびるには、それ相応の妥協や適応が…」「いいや、進学塾への宗旨がえは妥協なんかじゃない。堕落だ。教育を商売と割り切る連中と同じ土俵へ墜ちるってことだ」「いいえ、世間の需要に合わせるってことよ。今の子どもたちは復習よりも予習を求めてる。進学塾の台頭はその反映です。あなたはその現実から目をそらしているだけよ」●


物語は、この夫婦の子どもたちの代、そして、孫の代にまで続いていきます
吾郎と千明が言い争っていたのは、まさに私の子ども時代、
舞台は千葉県ですが、全国どこでも、「受験戦争」「偏差値」「塾激戦区」などという言葉が飛び交っていた時代でした

ドラマは、5話完結で、現在、上に引用したあたりまでのストーリーまで終わっています
その後、二人は…二人の家族はどうなるのか…
原作を読んではいても、高橋一生さんと永作さんの吾郎と千明のことが気になっています


大きな塾がどんどんできて、激戦していた時代は私の子ども時代、つまり、
団塊ジュニアが町に溢れかえっていた頃ですから、
少子化の今はまた塾の経営方針も全く違ってきているはずです
先取り授業は当たり前ですが、あの手この手で特徴をだし、特典をかざし、
とにかく、塾生を獲得するために大変そうです…

とある進学塾の幹部社員が言っていました
「昔は塾生を多く獲得することで利益を上げていたけれど、
今は、塾生一人からどれだけ料金をとれるかということに賭けるしかないんだ」と

千明がいまここにいたら、
どんな経営方針を立てるのだろう
そして、吾郎がそこにいたら…

わたし自身は、
もちろん、吾郎に近い教育者ですが、
それでも、千明の言っていることもわかります
実際、進学塾に勤務していた頃に経験している「教育企業」の矛盾点や切なさを、
今でも思い出します

最後に、
ごく最初の頃の、吾郎の言葉を

●「八千代塾(最初の吾郎達の塾の名前)では消しゴム禁止だそうですけど、それは、何か意味が?」「いえ、単純に、消しゴムで消したら誤答が消えてしまうからです。」「はい?」「誤答が消えたら、子どもたちは弱点を忘れてしまう。自分がどこでつまずいたのかを省みるすべがなくなる。実際、消しゴムを多用する生徒ほど似たような問題に何度もひっかかるものです」●

勉強のやり方がわからない?
なんでだろう
ただこれだけでいいのに
テストでも、プリントでも、教科書の練習問題でも、
自分が間違えたのを分析する
なにがどう違っていたのか、なにをどうおぼえ直せばいいか、理解すればいいか、
それを知るだけです(それが「わからん帳」(DKではQノート)です)

先取りして、類題演習をして、「わかったつもりになる」のが最も危険です
間違えないようにノートを消し消し、丁寧に書こうとするのもね
それに、実は楽しくないんです

勉強が楽しい、って言っている子をみたことがありますか?
私の教室には何人かいます

もう、その言葉だけで、その子は百倍伸びる
その子はこれからのどんなことも楽しめる
そう思うと私も楽しくて仕方ないのです

逆に、「わからない」を連発する子は伸び悩みます
自ら切りひらこうとせず、ただ待っているだけで勉強だと思いこんでいる
自分で自分を分析することもせず、授業がわからない、教科書がわからないと言っている
それは、
小学校時代から「これをやりなさい」と言われることだけを一生懸命やってきた弊害でもあります

その内容が、子どもの思考を豊かに育むものだったなら…
そうでない場合が多いです
漢字練習や計算ドリルを何時間もし続けることで、
子どもが「勉強って楽しい」って心から笑えるように、なるなんて誰も思っていません
学校の先生だって思っていません
でも、
変えてくれません

世間は世間で、「塾ありき」みたいになっています

子どもは商品でもなければ、金づるでもありません
業界は子どもひとりにくっついているたくさんのお財布を狙って、
虎視眈々と弱みにつけ込むチャンスを狙っている

子どもの思考力を奪っているのも、
子どもを金づるとして差し出すのも、
結局おとなです

やっぱり私は子どもたちをそんな大人達から守りたい
子どもが食い物にされるのを黙ってみていたくはないのです

親たちにはちゃんと勉強して、強くなってほしい
振り回されないように、
子どもを信じられるように、
理論武装するくらいの勢いで
それが無理なら、きちんと、正々堂々と無視できるように

そのための手伝いも、私にできるといいな、って思っています