どんぐり学舎&DK実教室生専用のbandがあります

チーム内連絡用アプリでbandというのがある、と保護者さんに教えていただき、導入しました
「今日、ヤマモモ狩りするよ」とか「中学生の補習をするよ」とか、リアルタイムの情報のため

Facebookグループ(招待制)には自然遊びの情報を共有するために仲間になった方が多くいらっしゃるので、
日々の教室情報と区別するため、日常的な小さな外遊びの呼びかけ等に使うためにbandを開設しました
卒業したら登録を解除していただく仕組みにしていくつもりです

そんな中、実教室保護者さんは現役で、いま、どんぐり理論を勉強し、実践している、という方が多いに違いない、と思ってその中で糸山先生の著書の朗読をはじめました
少しずつ朗読して、私のコメントも加えます
…ただのひとりごとです
それに、糸山先生の許可を頂いていないので、公表はできません
あくまでも、家族のような、身内(実教室保護者)限定の公開です

ファイルとしてほぼ毎日録音してアップロードしていますが、
誰が聞いてくれているのか、私には全くわかりません
糸山先生の著書を読んでからどんぐりをはじめることは大前提だと思っていましたが、
最近では全く読んでいない方も多くなってきて、困惑する部分もあり、
聞いてみると、「言葉が難しい」「読む暇がない」など、うーむ、活字離れも時代なのか…とそれじゃあ、音声で、身内限定でやってみよう、なんてはじめてみたら、私の方が癖になってきました

糸山先生の著書はすべて持っているし、中には、10回くらい読んだ本もあるし、辞書のように項目を探しては繰り返し読んでいる章もあるくらいです
でも、改めて読み返してみると…というか、音読してみると、また新たな気づきがあったり、いま、伝えたいなあ、これ、本当に…と思うことが毎回あったり
キリもないのですが、さきほど音読した項目、つぶやいたひとりごとからこちらにも記載しておこうと思いまして…


今日読んだのは、

『家庭教育をはじめる前に読む本』より
ルール1のなかの、 
◆調べ物はさせずにどんどん教えてあげましょう◆
という項目です

なんでも子ども自身に調べさせることを、いいことだと勘違いしている人がいるのでしょうが、大変不合理で危険なことです。特に辞書を引かせることには注意が必要です。もちろん、辞書の引き方は知っておいた方がいいのですが、習熟させる必要は全くありませんし、いたずらに勉強嫌いを増やす手助けをしているようなものです。
(中略)
体験を伴わない知識は応用の利かない貧弱な「知っている感」を植えつけるだけです。
(中略)
調べものに関することであれば、子どもに必要な力は、わからないときには人に尋ねるという力です。そして、親以外の人に尋ねる練習をすることは小学校時代に必要不可欠なことです。
わからないときには、「調べるのではなく尋ねる」のです。
親以外の人に相談する習慣を育ててあげることで、将来何かで行き詰まったときにでも最良の選択をさせることができます。
(中略)
誰かに尋ねるように仕向けましょう。それでも解決できなければ最後に教えてあげてください。親は最後です。

思い当たることがたくさんありました

「体験を伴わない知識」
これは、塾講師になってはじめて勤務した進学塾ではじめて経験しました
いろいろ知ってるけど、なんにも経験してないんだな、という、頭でっかちの子たちに結構出会いました
学校の成績は悪くないけど、想像力に乏しいというか…人としての幅が狭いんじゃないか?この先大丈夫か?という子たちです
「そんなことも知らないの?」と鼻を膨らませている子が語るのは、テレビや図鑑で見た情報で、自分で実際に見たわけじゃなかったり
聴く側が質問したわけでもないし、興味もないのに、自分の知識をただひけらかしたいだけ、その態度が、「将来大丈夫か?」の不安のもとでした
そんなんじゃ…嫌われてしまう…大人初心者の私の心配はそこでした
当時はネットもなかったので、とにかく、種明かし系の科学番組が人気でした
私はまだ20歳そこそこだったけど、直感的に、保護者さんたちに「種明かし系の科学番組は見せないで」と伝えました
それは今も変わりません
今はスマホですぐわかるので、本当に危険がいっぱいです

「辞書引き学習」
これは、深谷圭助博士が考案し、10数年前に流行した学習法で、
辞書で引いた言葉に付箋を貼っていく…(もっと複雑なんでしょうけど詳しくなくて)
という方法です
うちにも、付箋がいっぱい貼られた小学国語辞典があるので、娘達と少し真似事でやってみたことがあるのは記憶にあります
私自身も、自分でそんなようなことをしていた子どもだったし…(ただの辞書好き)
ただ、これも間違ったら大変なのです
深谷先生の理論もちゃんと学んでからじゃないと勘違いしてしまいそうですし、
私もどんぐり的にどうか、という部分でしかわからないので書いてみますが、
辞書や、良書みたいなのに出会うと、「その内容が重要だ」と勘違いしてしまう大人の方がとても多いということがまず危険です
これは、少し前に書いた「将来使わない勉強内容はなんのため?」みたいな疑問への回答と同じで、
辞書で引いた言葉の意味をしっかり覚えるため、使えるようにするため、ということが目的だとたぶん、もう、間違いなんです
辞書を引くということは、大切なことで、必要なことです
知っていた方がいいことです
でも、そのテクニックを磨くこととか、調べた言葉を忘れないように記憶しておくことなどは、重要事項ではありません
そんなことを求めたら、すぐに辞書引きが嫌いになってしまうでしょう
私は、辞書引き学習は「調べ学習」のひとつだとは思うし、
私自身も辞書好きで、たくさんの辞書を1度に開いてうーんうーんと考えることが今でも好きなのですが、
「辞書引き学習」と、子どもの「わからないことを解決する方法」というのが、まっすぐつながるとは思っていません
いろんな段階を踏んで、はじめて、自分自身が調べることで解決する、ということにつながっていくのです
私の体感では、
自ら調べて、自分の中で納得いくまで整理して習得につなげていく、ということがひとりでできるようになるのは中学3年生くらいかな、というところです
糸山先生もこの項目で最後に、
最終的には自分の求めているものは自分で研究しなければ見つからないことや、相談はしても判断するのは自分であることなどもわかるようになります。
と、書いています
最終的にこういう大人になっているためには、
調べた内容そのものが重要なのではなく、いろいろな調べ方や、解決の仕方があることをできるだけ経験させるということだと思いませんか?
「自分で調べなさい」と突き放す前に、
調べる、ということはどういうことなのか、手本を見せつつ、一緒に体験してみてください
誰かに尋ねるところを、見せてあげてください
誰かに尋ねて、それからも他の方法で調べて、納得いくまで調べることを、
一緒に、ゆっくり、味わってみてください

目の前でスマホで調べるところばかり見せていたら、
それが手本になります
それの何がいけないの?調べる時間も手間も省けて、最新情報が得られるのに!という意見があるのは知っていますが、それは大人になってからの話
いま、脳を育てている最中、そして、人との関わりを体験している最中の子どもたちにとって、その手本はまだ不要です
大人がこっそりネットで調べたとしても、その知識を植えつけるようなことはしなくていいんです
一緒に不思議がって、一緒に解決までの道を楽しめばいいんです
早くたくさんの知識を身につけさせれば賢い子に育つと思ったらそれは間違いです
ちゃんと不思議がる気持ち、調べてみたくなる欲求が、第一歩なのですから


中学生や高校生の学習方法を見ていると、
自分で解決する方法を色々知っている子は本当に楽そうだな、と思います
大変そうだな、と見える子は、まず、「書いてあるのに読んでいない」です
私に積極的に質問してくるのはいいことなのですが、
私は、そこに書いてあることを指し示したり、声に出して読んだりするだけ
それだけで「ああ!そうか」となる子が多いです
何度か紹介しているかもしれませんが、
ある子は高校の授業後、先生の前に質問の列ができるその近くに自分の席があったため、クラスメイトの質問内容が聞こえてきてしまうそうなのですが、質問内容は、ほとんど、教科書や副教材の中に書いてあることばかりで不思議だ…と言っていました
自分で調べればわかることなのに、先生にとっても生徒にとっても貴重な時間を列に並ぶことに使うのか…と
とある進学校でのことです

また、
英語の学習をはじめたばかりの中学生をたくさん見ていますが、
どうも英文の書き方がまちまちです

文頭は大文字です、
単語と単語の間は1文字分空けます、
文末には必ずピリオド等、句点をつけます…
添削をしながらも、
小学英語で見たことないのかなあ…
中学英語の最初に説明はなかったのかなあ…
と、少し思っていました
でも、あるんですね
教科書の最初に書いてあります
もちろん、丁寧に優しく教えるようにはしていますよ
でも、
最初から指導が入ることで疲れてしまう子もいます
素直に「そうなのか」と受け入れて改良していく子もいます

書いてあることをまず読み取れれば、
スタートはもっと楽だろうに、と思います

少なくとも2年間は小学校英語(必修化されたので)の教科書が手元にあり、
少なくとも2年間は、英語というものを体験はしてきているはず
好きでも嫌いでも、目には入っていたはず

おそらく、書いてあっても、聴いていても、受け入れない何かがあったのでしょうけれど、
そこをすっと受け入れることができればスタートはスムースだろうなあ、とは思います

書いてあっても読み取らない、読み取れない
状況や事情には個人差があるでしょう
でも、
調べ学習をよしとする前に、
まず、書いてあることが何を訴えてきているか、
聞こえてくる音や声が何を訴えてきているか、
それぞれにメッセージがあるということ
ただそれをまっすぐに受けとめてみてもいいんじゃないか
そんなことから、
体験が必要なのかもしれない、と思いました
ただの日常会話でいい
ただの日常風景でいい
子どもが周囲からのメッセージを一生懸命受けとめようとしているとき、
近くにいる大人がすべきこととすべきでないことがあります


ま、学校でも「ネットで調べてくる」みたいな宿題が出されるようですし、
授業中もなんならそんな「調べ学習(もどき)」をさせているようですから、
本物の調べ学習を体得できる子は(学校に任せきりでは)育たないことも、
知っておいてください

学校ではそうだけど、家ではそうじゃない、
それは、調べ学習に限ったことではなく、
気づいた人から、今日からできる賢い子どもの育て方です

ちゃんと読みなさい、ここに書いてあるでしょう、
そんなことは絶対に言わないでください

その前に、「書いてあるのに読んでないんだ」という事実を受けとめ、
なぜそうなったのか省みてください

子どもが自らそうなったわけではないのです
そうなるしかなかったから、そうなったのです